2015年1月24日の神奈川新聞に掲載していただいた記事をご紹介させてください。
横浜地裁小田原支部(小田原市本町1丁目)のはす向かいにある手作り雑貨店「コンテ」の片隅に、交通事故で8歳の息子を亡くした夫婦が作った折り鶴アクセサリーが並んでいる。昨夏、裁判に遺族として出廷する際に訪れたのがきっかけで制作を始めた。市内で開かれている同店主催の作品展にも参加。「優しかった息子の気持ちが、鶴と一緒に広まってくれたら」。夫婦はそう願っている。
厚木市の田中信一さん(44)と希さん(42)夫婦の長男で小学2年生だった暁巳(あきみ)君=当時(8)=は、昨年2月17日の夕方、友人と遊びに行った帰り道で、大型トラックにひかれて亡くなった。
手先が器用な少年だった。 おもちゃのブロックで精巧なスポーツカーを作ったり、乗り物を入念にスケッチしたり。デジタルカメラで中秋の名月を鮮明に捉え、周囲を驚かせたこともあった。
事故後、夫婦は事態を受け入れることができなかった。閉じこもった自宅には、亡くなる数日前に暁巳君が図書館で借りてきた折り紙の本が残されていた。信一さんは心を落ち着かせるため、30~60枚の紙を組み合わせた球状の「ユニット折り紙」数十個を無心で折り続けた。
転機が訪れたのは数ヵ月後、トラック運転手の裁判が地裁小田原支部で開かれたとき。検察側の証人として裁判所に出向くと、すぐ近くにある雑貨店が目についた。「アキ(暁巳君)が好きそうな店だ」。吸い寄せされるように中に入った。
店内に並ぶ、夢のある作品の数々。もの作りが好きだった暁巳君の姿を思い出し、気付いたときには夫婦は裁判所に出向くたび「コンテ」に足を運ぶようになっていた。そして-。
「息子が好きだった折り紙で、誰かに喜んでもらえるなら」。次第にそんな気持ちが芽生え、夫婦で制作を開始。夏の終わりには折り紙のアクセサリーを店に納めるようになった。3センチ四方に切った和紙で折った鶴を透明のマニキュアでコーティングし、金具をつけてピアスやキーホルダーにする。これまで作った数は1500羽以上。作品に息子のことを記した紙などは特に添えず店頭に並べているが、売れ行きは好調という。
26日までギャラリー新九郎(小田原市栄町2丁目)で暁巳君の作品約200点の展示と鶴のアクセサリーの販売を行っている。展示は一周忌の法要の代わりでもあるという。
「折り紙がなかったら、もしかしたら今でもふさぎ込んでいたかもしれない」と信一さん。それにうなずきながら、希さんもこうつぶやいた。「私たちが前を向く機会を、暁巳がつくってくれたのかな」。
【神奈川新聞】
「折り紙」は子供から大人まで気軽に手にすることができ、その人の心・感性を映し出してくれる素晴らしい素材です。
「人に喜んでもらいたい!」
暁巳は絵画や折り紙にそのような想いを込めながら、
思いっきり創作活動を愉しみ、行く先々で人々にプレゼントしていました。
「人を喜ばせたい!」
「人を元気づけたい!」
「人をわくわくドキドキさせたい!」
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暁巳の願っていたことはとってもシンプル。
ささやかで小さなことではありますが、ちゃんと相手の心に届いていたようです。
嬉しかったり、元気になったり、ほっと安心できたり…
暁巳が旅立ったあと、みなさんからたくさんのエピソードを聞かせていただくことができました。
人と人の間には ‘相手を思いやる優しい心’ や ‘お互いにほっとできる安心感’ がたくさんあることに気づきました。
暁巳はそのような素晴らしい毎日を生きていました。
シンプルだけどとても大切なこと。
今、私たちはあらためて感じています。そして考えています。
目の前にある自分にできることに一生懸命取り組む暁巳の姿。
それは私たち家族の原点であり、これからも続いていきます。
暁巳が ‘8年8ヶ月’ と早々に人生を終えたとき、
私たちは嘆き戸惑い、どうしようもない想いを抱え、深い悲しみに覆われました。
もう二度と前を向けないのではないか?と。
大きい波…小さい波…たくさんの波が襲ってきました。
私たちはそれらすべてに身をゆだねました。
そうして季節がめぐり…
ふと気がつくと私たちは暁巳に継いで鶴を折っていたのです。
まわりの多くの方に支えられながら…
暁巳の大きな愛に包まれながら…
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私たちの折り鶴を通して、暁巳の心・私たちの想いがみなさまのもとへと届き、温かな光となって寄り添うことができますように…
一羽一羽、心を込めて暁巳とともに作り上げていきたいを思います。
Ateliê Aurore
田中 信一・希・優乃・暁巳