どこが満足?

 

 

回転ずし

 

 

あきみ姉とおなかいっぱい目の前のお寿司を食べた

 

 

おなかいっぱいになるまで食べていくと・・・

 

途中から苦しくなった

 

それまでは「喜び」だった「食べる」という行為が

 

ある瞬間を境に「苦しみ」に変わっている

 

 

はじめてではないものの

 

びっくりした

 

 

人間の身体って・・・

 

 

食べ物で満たされると

もうそれ以上食べる必要がないのね

 

「喜び」であったはずの「食べる」という行為が

「苦しみ」に変わってしまうのね

 

 

改めて感じた

 

 

人間の身体は「もの」だから

 

「もの」でいっぱいになるようにできている

 

 

「もの」でいっぱいになっている状態を

 

「幸せ」だと感じることもある

 

(みんなが感じる ささやかなしあわせ)

 

 

でもね

 

それはほんの一時のもの

 

永遠ではない

 

 

だから 魂の満足 とは少しちがうもの

 

 

魂の満足 は永遠のものだから

 

ずっと変わらない

 

永遠に

 

 

おなかいっぱいの満足は物質的しあわせ

 

ということになるかな

 

 

さて

 

「自分」が満たされてる

 

と感じるとき

 

 

「もの」?「こころ」?「魂」?

 

「どこ」がいっぱいになってるの?

 

 

自分に聴きたい

 

自分のこころに・・・

 

 

人間である以上

 

自然に「もの」でいっぱいになることはできる

 

 

人間であるからこそ

 

「もの」ではなく 真の豊かさで

 

「こころ」「魂」を満たすことができる

 

 

なにで自分を満たしていきたいか?

 

は ひとりひとり自由

 

 

果たして

 

それは本当に自分の望むことで満たされているの?

 

と生きている限り 問い続けたい

 

 

今日

 

「自分」という存在(魂)を満たしているのは

 

「もの」かな? 「こころ」かな?

 

 

どっちかなあ?

 

 

真理

 

というものは決して変わらないものだから

 

 

「食べ物」で満たされる状態

 

というのは 実は幻想であることを知り

 

真に魂が満たされている状態 を追い求めていく

 

 

人間はどこまで

 

「自分」を深い部分で満たすことができるのだろうか?

 

 

人間が生きている 目的 のひとつでもあり 

 

すべての人の課題

 

 

魂を満たす純粋な満足感は「自分」のすべてを満たし

 

やがて「自分」からあふれだし

 

まわりへと拡がっていく・・・

 

 

源泉が湧き出るかのように・・・

 

 

まずは 自分で自分の

 

「本物の満足ってなに?」に

 

日々 こころを澄ませてみたい

 

 

お寿司食べ過ぎて

 

そんなことたくさん考えた日

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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