昨日と今日できづいたこと。。。
あきみは小学校2年生であちらの世界に旅立ちました。
今、あきみの同級生は4年生。
時が経ち、大きくなって、成長して。
お兄さんらしく、お姉さんらしく、
みんないっそう頼もしくなっています。
でもね、ふと。
あきみとのギャップをさほど感じていないことに気づいたのです。
なんでかな?
考えました。
考えられるのは。。。
あきみが旅立ってからも交流が途絶えていない、ということ。
私たちはあきみがいなくなった後も相変わらず、
「あきみのお父さん・お母さん」として、
子供たちと会っている。話している。遊んでいる。
ずっと途切れることなく、成長を見続けている。
あきみ父もあきみが元気だったころに引き受けた地域の青少年指導員というお役を
今も出来る範囲でお手伝いさせていただいています。
子供たちから受け取るエネルギーはいつも素晴らしくて。生き生きしてる。
今までたくさんの元気をもらってきました。
子供たちとの時間は心から楽しいと思えるよろこびのひとときです。
納得しました。
もしも子供たちから離れて、小学生と関係のない生活をしていたら。。。
(子供を亡くした親は色々複雑なおもいやジレンマを抱えがちで、
自分の意志とは反して、子供を遠ざけるようになってしまうことも多いそうです。)
今のようにギャップを感じないのではなく、
反対にとても大きな差を感じることでしょう。
あきみがひとり、あの日に置き去りになっているような、
そんな被害者的錯覚に陥ってしまっていたかもしれません。
あきみが旅立ったあの日から、
ずっと変わらず、あきみの同級生の子供たちと接してきた。
そのことにこんなにも深い深い意味があったなんて。
時が進んだ今、ようやく気づくことができました。
「自分の友達とたくさん接してほしい。」
あきみがそう願ってくれていたのだと思います。
決して子供たちから遠ざかってほしくない、と。。。
私たちもあきみの姿はなくても、今まで通り子供たちと接したい。
なぜかいつもそう思ってきました。
このことは私たちにとって、こころに温かさをもたらしてくれた。
結果的に人間らしく、心に優しい選択となっていたのです。
今、改めてそのことに気づいています。
そして、変わらず私たちと付き合ってくれているまわりのみなさん。
実は「変わらず」ではなかったんだ、ということにも気づきました。
ときに、向き合い、励まし、慰め、勇気づけ、楽しませてくれたり、
一緒に泣いてくれたり。。。
みなさんの姿勢は決して「変わらず」ということではなかったのです。
あきみを失った私たちをありのまま受け止め、支えてくれていたこと。
状況の大きく変わった私たちとともに一緒に悩みながら歩んでくれていたこと。
なにより、ずっとそばで見守っていてくれたこと。
時が経った今、私たちのこころもほんの少し成長して、
今更ながらですが、たくさんのことに気づき始めています。
みなさん、
本当に本当にありがとうございます。
私たちのこと
「今のあきみ」のこと
これからもどうぞよろしくお願いします。
あきみとあきみの家族より
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