かまきりの旅立ち

24日からずっとリビングの網戸にいたかまきり。
あきみの化身となって私たち家族を見守ってくれてた。
今朝、気づくと姿がない。
外を見ると・・・
下に落ちている。
死んでしまったかと思い、あきみ父が取り上げると動いた!
急いで室内に入れた。
きっと寒かったのだろう。
寿命が来る日ももう近い。
しかし、かまきりはゆっくりと動き始めた。
私はなぜか水を取りに行く。
以前こうもりを保護したときの記憶でとにかく水分を与えたいと思ったから。
(いきものは水分なしでは生きていけない。
 食べ物は受け付けなくなるが、生きている限り、
 最後の最後まで水分は必要である。)
綿棒に含ませてかまきりの口元へ・・・
するとかまきりは自分の手で綿棒を引き寄せ、
力強く貪るように綿棒の水を吸い込み始めた。
生命ってすごいと思った。
もう力尽きて動けないかと思ったその存在が
自ずと体内に水分を採り入れる。
満足したのか、あまり動かなくなってきた。
私たちにはほかにどうすることもできない。
そっと見守るなか、かまきりはその一生を静かに終えていった。
その姿に私はなんともいえない思いを抱いているのを感じる。
そのかまきりはおなかが大きかった。
卵を産んだら寿命が来るんだね、と家族で見守っていた。
かまきりは産卵することなく、
おなかの大きいまま、
生物としてやるべきことをやる前に命の終わりが来たのである。
草や木のそばにいたら、
もしかしたら産卵できたのかもしれない。
でもこのかまきりはずっと私たちのそばにいてくれた。
あきみを思わせてくれたかまきり。
動かなくなったかまきりを前に
『あなたはかまきりとして子孫を残すことはできなかったけれど、
 私たちに温かいものを届けてくれました。
 私たちにとってあなたの存在はとても意味のある、
 かけがいのない大切なものです。
 どうもありがとう。
 あなたに会えてよかった。
 お疲れさまでした。』
気づくと心からの言葉と祈りをかまきりに伝えていた。
自分でもびっくりした。
このかまきりの一生は生物としての役割(子孫を残す)を終えなかった。
生物学的なかまきりのメスとしては意味のある一生とは言えないかもしれない。
でもかまきりの過ごした最後の数日(残された命の時間)が私たちにとって、
とても意味のある、温かい時間であったことは間違いない。
家族はみなこの数日かまきりとともに過ごしていた。
どんな存在、どんな短い生涯にも意味があり、
個として完成することだけが生きる目的なのではない。
他の存在と関わること
関わったものたちに愛を伝えること
それらがまたさらに次へとつながっていくこと
改めて大切な何かを教えてもらったような気がした。
ここまで深くかまきりと向き合ったことはなかった。
この世に生まれてきて、自分の存在をもってして、
どれだけの存在に愛・やさしさを与えることができるか?
生まれてきた意味
今生きている意味
あきみの人生の意味
自分を含むすべての存在の意味、役割を肌で感じた。
そんな出来事だった。
人生は長い短いではない。
与えられた時間のなかで
どれだけ自分のなかにある愛を他の存在に届けられるか?
これに尽きるのだと思う。
人生の先輩となったあきみはいつも私のお手本なのである。
そして
かまきりもまた。。。
 

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