『スキー楽しみだね』 暁巳より

 

あきみとの日々

 

冬は毎年家族でスキーに出掛けていた

 

 

あきみがなくなって3年

 

 

わたしたちは再び

 

「家族でスキーをする」

 

という選択を試みた

 

 

あきみが赤ちゃんの頃から訪れていた

野沢温泉の地に足を運んだ・・・

 

 

2013年冬にあきみがくれたカードには

そのシーズンも行くであろう

スキーを楽しみにしている言葉が綴られている

 

 

 

 

 

あきみが急になくなり

それまでできていたことが突然できなくなった

 

この3年間

それらひとつひとつと向き合ってきた

 

できるはずのことができない

 

これは結構苦しい

 

しなくても生活できるものもあれば

しないと生活が立ち行かなくなることもあったりして

 

辛さと苦しさ、抑えようのない悲しみなど

その時々 自身の心と相談しながら

ひとつひとつチャレンジ?!リトライ?!

してきたのを思い起こしたりしてみる

 

生活に必要なことは否が応でもなんとかするしかない部分もあり

多少の無理をしてでも再開させてきたのを感じてる

 

逆に生活するのになんの不都合もないこと

 

レジャー、趣味、嗜好に関するもの・・・

 

これらはとりわけ再開するのに

勇気とエネルギーが必要になってくる

 

しなくても困らない

 

という

しないための理由

 

すると却って辛さが倍増する

 

という

ともすると自らの心を守るための理由

 

これらは少しずつ今の生活ができてきているなか

心や気持ちが逆戻りするのを恐れるがための選択のようにも思える

 

 

実際のところ

できれば避けて通りたいこれらの行為の数々に対し

一生しない

という選択でもよいのだけれど

 

どうもそれでは

自分たちが自分たちらしくない

とても不自然

あきみといたときできていたことは

全部できるようになりたい!

という理由で再開を試みる段階が訪れる

(もちろん家族ひとりひとりの心の進み具合を総合的にみて

 全員のゴーサインが出たときに無理なくチャレンジするようにしている)

 

あえてこのように

自らの心に負荷をかける選択をする・してきたわたしたち家族

 

辛い というのが正直なところ

 

家族そろってのレジャーはとりわけ

あきみと共有したおもい・楽しさがたくさんありすぎる

 

同じ場所で同じことをやっても

もうそこにあきみの姿がないこと

 

あきみと一緒に笑って

楽しいね!って共有できない

 

それは変えようのない事実

 

それがよく解っているぶん

 

それをあえて

自らの意思で再現・体感するとき

切なさは否めない

 

ああやはりあきみはいないんだ。。

 

と現実を目の当たりにしたとき

 

家族ひとりひとり

胸のうちに抱えるあきみへのおもいとともに

今感じている個々の複雑な心情とあらためて対面することになる

 

そうやって

自分たちの状況、心情、あきみへのおもいと

ひとつひとつ向き合うのがわたしたちの人生でもある

 

幸い

家族みなの心の進みはおおよそ足並みが揃っているので

それぞれがそれぞれの責任で個々のおもいと対峙し

それらを受け止め

そしてそれらの想いを上手に昇華することができている

 

あきみと共有した多くのもの

 

それらを思い起こしたり

再度あきみの姿がないなかで体感する

ということは

家族ひとりひとりにとって儀式のようなもの

 

自分に課せられた課題

 

それらに挑戦するセレモニーのようなものである

 

そして挑戦し

受け止めることができたときは

自分で自分の心が嬉しくなる

 

自分で自分が愛おしくなる

 

あきみと楽しんだ

大切な大切なたくさんの想い出たち

 

あきみを大切におもうがゆえに苦しいのだけれど

自分が自分として

たしかに「今」楽しめている

 

そう自らの心で感じることができたとき

 

自身の心の歩みがまた一歩前に向かって進んでいるのを

感じることができる

 

どの人生も

自身のおもいとともに歩み

その心を前に進ませていく作業なのかもしれない

 

命あるかぎり前へ前へ

 

歩みを進めていくようになっている・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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