2019、1、7
とっても久しぶりにブログを書こうと思った。
今日からほんのすこし 新しい生活がはじまる。
信一の新たな歩みが始まった。
約2年半前、信一が休職。その後退職した。
それからわたしたち夫婦は毎日ずっと一緒にいた。
結婚して20年。
この状況はもしかしたら初めてのことだったかもしれない。
娘を送り出したあとそのまま家にいるわたしたち夫婦。
なんだろう?
わたしの想像するところの老後の夫婦のようだった。
夫婦ふたり、目の前にいる相手とただひたすら向き合う日々。
あきみの死のあと、夫婦はそれぞれぶつけられないおもいを抱えていた。
自分が自分であるがゆえに抱く様々なおもい
それを相手に開示して互いに受け入れあうにはまだ時が早すぎた。
個々にそのおもいひとつひとつを心のなかにしまい込み
かといって手放すこともできないまま保管して過ごした日々でもあった。
この休職をきっかけにそれまでの自身の歩みを振り返り
あらためて自らの心を感じる作業を試みた。
いい機会だった。
目の前の相手の心にもたくさん語りかけ、問いかけ、対話をする日々。
そうしていくうちに互いが互いのおもいに癒し癒されていく。
人間と人間の間にあたたかくて優しい時間が流れていくのを感じた。
やっと。なのかな。
人生を共にしようと歩みを進めてきて本当に色々なことがあった。
色々なおもいを感じ・味わい、分かち合える。
夫婦の心の進みがここのところ近づいている。
たくさん話して、たくさん同じことして、たくさんぶつかって、
たくさん笑って、たくさん泣いて・・・・・・・・
あきみの親として 同じ時を共有してきたのだなあ
としみじみ思う。
今 互いに互いを自然体で受け止められる。
何があってもなくても 変わらないことがある。
笑い合える
赦し合える
かまい合える
あきみが旅だったあとは苦しくて想像もできなかったけれど
自然に笑い、語り、今何をおもうのか?
そのおもいを共有することができる。
夫婦それぞれが自由でいられる。
今までは自分で自分の甘えに気づかず、相手に依存し、相手にがまんして、
なんだかしっくりいかずに居心地の悪い時期もあった。
大切な存在だと解っているだけに大事なことが言えなくて
やり過ごした日々もあった。
長い道のり。ううん。まだまだこの先も続く夫婦の道のり。
夫婦ってすごい。
親子でもなく、兄弟でもなく、恋人ともちょっとちがう。
この不思議な心のつながりを持つ関係って素敵なことだなと思う。
お互いそれぞれがそれぞれであること。
ただそれだけで成り立つ関係。
これまでも
これからも
大切にしていこう。
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