力強いことば

『輝く生命の絵画展』に行った。
昨年は持っていき場のないあきみへの想いを抱えて。。。
絵を描くのが大好きだったあきみのことを思いながら。。。
生きているのがやっと、というなか、
あきみ父と二人、絵画展に足を運んだ。
Мさんが快く出迎えてくれた。
私の顔を見て、車いすの上でただただ涙を流してくれた。
その涙を見て、私もまた涙が溢れたのを思い出す。
そして今年。
Мさんが温かく迎えてくれた。
昨年は互いに言葉が詰まって会話にならなかったが、
今年は笑顔で話すことができた。
私の顔に笑みがあることに安堵してくれた様子だった。
ただただ日々を生きているだけの私に
「のんびりでいいよ。」
と声をかけてくれた。
そして、
「こんな状況だけどね。
 私は幸せだよ。
 楽しくしていたいじゃない。」
と。
力強かった。
しっかり芯の通った言葉。
自分の人生をありのまま受け止め、どっしりとしている。
Мさんは若いころ受けた手術の際、頸椎を損傷し、
首から下の機能が著しく失われている。
車いすは呼気とあごの前後左右の動きで操作している。
障害を抱えつつ、大好きな絵を描き続け、女児を出産し・育てた。
一人の女性として、
妻として、
母親として、
今まで生きてこられた方だ。
私はヘルパーとして彼女と出逢った。
これだけの力強さ、なかなか出逢えない。
与えられたものを受け入れ、その中で喜び・楽しみをしっかり味わっている。
人は自分の人生を嘆き、自ら哀れに思うことすらある。
それがたとえどういう程度のものであっても、
本人が悲劇と思えば悲劇でしかありえなくなる。
人が過酷というような人生をありのまま受け入れ、
楽しみ・楽しませ、喜びを見つけていく生き方。
その力強さは決して楽天的なものだけで確立されるものではない。
人には想像もできないような苦しみ・痛み・悲しみ・絶望・どうしようもない想い・・・
様々な困難を経てきた証。。。
私にもできるだろうか?
Мさんのような生き方。
のんびりでいい。といってくれたМさんの存在はとても心強く、
同時にМさんのお手伝いをしていた頃の自分を思い出した。
今の自分がとてつもなく無力で何かの役に立っているのか?と考えさせられた。
自分の中で今の自分の存在を考える日となった。
あきみを失い、
それでもなお生きている今、
自分が今まで一生懸命やってきたことを思い起こし、
これから自分には何ができるのだろうか?と。
改めて考えてみたい。
この記事を書きつつ、
自分のあり方についてこんな風に考えることができるようになっている。
そんなことに気づいたりしている。
これはすごい進歩だと思う。
あきみのことしか考えられなかった自分。
早くあきみのところに行ってしまいたい、とさえ思っていた自分。
いつのまにか自分のこと、
自分のこれからの生き方(未来)に意識が向くようになっている。
これらは喜ばしいことといっていい。
私は生きている。
前を見て進むしかない。
あきみに会うにはその方法しかない。
そう思うだけに自然と「前進あるのみ」の考え方になっていく。
人間は過去にも未来にも生きられないのだから。
「今このとき」を
「与えられた人生」を
一生懸命に生きるのみ。
あらためて自分にそう言い聞かせた。

 

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