今日はちょっと涙💦

いい天気。
あきみの部屋に入り、窓をあけた。
すべてあのときのまま。
おもちゃもランドセルもあきみがいたときのままにしてある。
あきみが戻ってきたとき困るから?
ううん。ちがう。
あきみはもう戻ってこない。
だから、である。
あきみの生きていた
「生」の時間。
「動」の数々。
それらが感じられる部屋にしておきたかった。
入るのが苦しかった、というのが本当の理由でもあるが。。
だからそのまま。
何も動かしていない。
なぜか今日はしばらくそこに留まっていた。
ランドセルのほこりをふき取り なかを見た。
連絡帳には2月18日までの時間割と持ち物が記されてあった。
前週の金曜日に雪が降っていたので
火曜日の分まで先生があらかじめ伝えておいてくれたのかな
と想像した。
しばらくぶりにみる連絡帳は私に時の流れを感じさせた。
あきみが旅立ったのは2014年2月17日。
2月18日で終わっている 連絡帳の記載。
連絡帳に記した日まで
自分が生きていることを寸分も疑わなかったであろう
あきみを想像したとき
心は大きく揺れ動いてしまった。
涙があふれてどうにも止まらない。
人間のあきみを想像すること。
その先あったであろう彼の人生を想像することは
時にとても苦しい。
なぜなら
私たちは人間のあきみがもうこの世に存在しないことを受け入れ
今のあきみに神経を集中させて生きているから。
人間のあきみはあの日あのときで終わった。
私たちはそれをどうにか受け止めた。
あきみはあのときから次の「生」へシフトした
そう考えている。
そこからのあきみは身体を持たないスピリットである。
どちらのあきみに集中するか?
それによって私たちの精神状態は大きく異なる。
今日は人間のあきみ・あのときのあきみ 
に焦点が合い過ぎてしまった。
私たちの精神的訓練・霊的視野の練習は
今なお発展途上であることを強く感じた。
きっとこれからも・・・
きっと一生・・・
苦しいときは苦しい。
それでいいと思っている。
私は 今 人間なのだから・・・
こんなとき 私は心を落ち着かせるため
絵本を読んで過ごす。
あきみの世界の絵本
まだまだ先は長い。

 

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