ひとつの存在と向き合う
その存在との向き合いが終わると
次にまた別の存在が現れる
わたしたちの生活はいつのまにか
そういったサイクルになっていることに気づく
この春からの流れでいうと・・・
リリイと全力で向き合い
最期の日々を支えながら
リリイとの豊かな時間を過ごせたこと
そして
その旅立ちを家族全員で見送ることができ
家族それぞれに後悔のおもいが残ることなく
リリイの死をありのまま受け入れることができた
その後 間髪入れずMandyの再来日があり
Mandyとの日々が始まった
やはりここでも心残りのないよう
毎日を自分の持てる力すべて注いで生きていた
真剣にわたしたちを想うMandyと
真剣に楽しく 向き合うことができ
豊かな時間とおもいを共有することができ
また会おう!と気持ちよく別れることができた
そして「今」
わたしたちには
もう次の存在が呈示されている
次から次に だけど
ひとつひとつと悔いのないように
しっかりと向き合おうとする気持ちさえあれば
向き合えるようになっている
どの存在との向き合い時期も重なっておらず
絶妙にほんの少しずつずれている
だから一生懸命になれば無理なことはひとつもない
今までの流れから
それがとてもよく解っているから
そのたびにできる限りの環境と心で挑むわたしたち
そのときの自分にちょうどよい存在
きっとそのように与えられているのだろうけど
そのときの自分は毎回必死になっているのを感じる
そしてひとつ共通点発見
どの存在との向き合いにも
まずは環境整備を強いられている
ような気がする
ここはどうやら必須なようで
(わたしたちにとって必要なようで)
元々片づけや整理整頓が苦手なわたしたち
あきみがなくなってからなおさら
したくないことはしないで生きてきた
それでも少しは過ごしやすいように
心が前を向いたときは
身の回りを少しずつ整理したり
物の配置を変えてみたりしてきた
その都度
心に負荷がかかっているのを充分に感じ
涙を流したり
感傷に浸ったりしながら作業をすすめる
すこし後になって振り返ってみると
それら物の掃除は
同時に心の掃除にもなっていたんだなあ
なんて思えたりもした
そのときの自分の気持ちに相談しながら
無理はしないように気をつけて
その都度 自分の心 家族の心
少しずつ整えながら生活してきた
でも「かたち」はあまり大きく変えてこなかったかもしれない
あきみの使ったものや置いたもの
気配を消すことがなんとなくできずにいたかもしれない
片づけることができないまま
気づくと時が過ぎていたのを感じる
あきみを見送ってから3年が過ぎ・・・
ひとつひとつ
あきみのおもい 自分たちの心
さらに深く向き合いながら
「今」のお互いにとっていちばん心地よい
新たな「かたち」をつくっていく
そういう時期なのかもしれない
向き合うべく存在は
わたしたちの心にやさしく働きかける
そして
そのとき必要な適度な負荷をかけてくれる
精一杯その存在と向き合ったあとは
確かに歩みが進んでいるのを感じる
そのひとつひとつは
自分以外の存在と向き合っているように思うけれど
実はすべてが自分自身との向き合いである
人生には ひとつひとつ
じっくりと そして しっかりと
向き合うものが用意されている
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