大切なもの

こんばんは。あきみ父です。
日々生活していて、
「こうしていれば良かったかな」
「なんであんなこと言ってしまったのだろうか」
など、
自己嫌悪や後悔のような気持ちを、
人は、ほんのちょっとでも持つことがあるのではないでしょうか。
少なくとも私は持っていました。大きな後悔を。
自分自身に対してであれば自業自得ですむのですが、
自分に依存している人に対して、例えば、家族に対してはどうでしょうか。
昨日まで元気だった息子が突然目の前からいなくなったとき。
自分は息子に何をしてあげたのだろうか?
思い浮かんだのは、
 電車が好きなのに、新幹線にも乗せてやらなかった
 ディズニーランドにも連れて行かなかった
 テレビゲームも買ってあげなかったな、我慢してたもんな
 3年生になったら理科、社会があることを楽しみにしてたよな
 もっと一緒の時間を過ごしてやればよかった
 …
こんなことは
 「明日でいいじゃん」
 「いつかやってあげられる」
 「大きくなったらやればいい」
と思ってました。
たぶん、当たり前の想いなのではないかと思います…
我が家では、
子供たちと出かけるときは、
 海、山、川、田んぼ、などなど
家では、
 ブロック、工作、お絵かき、などなど
たった数年の子供のときだからこそ夢中になれるもの・場所を選んで、
それらを与えてきました。
ですが、その本人がいなくなってしまって、
「間違ってたのではないか」
後悔の気持ちがうまれました。
すべて。なんでやってあげなかったんだろうと。
些細なことかもしれませんが、本当に苦しみました。
そんなとき、こんなことを思い出しました…
夏休みのイベントについて子供たちと話をしたとき、
妻と私は、
「何カ所も遊びに行くお金はないから、
『ディズニーランド』と『海』
どっちに行きたい?」
海は毎年何回も行っているし、ディズニーランドは息子も行ったことないし、行きたい様子もあったし、
そんな質問をしました。
子供たちは、しばらく考えたのち
『海!!』
と元気良く答えました。
このことを思い出すと、
「ああ、間違っていなかったんだな」
と思い、励まされ、救われた気持ちになります。
そして、とりとめもなく涙が溢れてきます。
ものがあふれるこの時代のこの国で、何が大事なのか教えてあげられたのかな、と。
大切なものは人それぞれです。
たくさんのものにあふれ、経済的にも豊かな私たちの環境。
ものすごいスピードで進化(視点を変えると退化)する私たちの環境。
環境の変化は激しくても人間の本質は変わりません。
私たちが子供のころに心を動かした遊びは、今の子供たちにも魅力的で楽しいものです。
本当に大切なのは
 「普遍的なもの」
言い換えると
 「目に見えるものではなく、心に届くもの」
なのかなと個人的には思ったりします。
まあ、それに付き合う大人は大変なのですが…
海でカニをとったり、泥で遊んだり、折り紙の作品を見たり作ったり、
目を輝かせ夢中になる子供たちを見てると、そんな大変さは吹き飛んで、幸せな気持ちにさせられます。
夕食後、妻と会話をしていて、こんなことを思った次第です…
乱文ですみません…
 

コメント

    • S・U
    • 2015年 6月 12日

    コメントなんて、実はドキドキしてますが(^o^;)
    暁巳くんは、キラキラしていました。
    私は暁巳くんが色々な物をスケッチしていることを知りませんでしたが、その時一緒いたママ友に絵が上手な事を聞き、外で遊んでいた暁巳くんに「みてみたいなぁ~」と言うと、すっ飛んでお家からファイルを持って来てくれたり、お父さんと一緒に水槽を洗っている姿が印象的です☆
    その頃、我が家にも「イモリ」がやって来て、こんなエサをあげてるよ!と教えてくれた「乾燥イトミミズ」今も愛用しています。
    ついつい、ゲームをあたえてしまうけど、何かを一緒に楽しめるって素敵ですよね。
    暁巳くんが、ご家族と過ごした時間が、あんな感性豊な作品に繋がっているんだなと感じています。
    私は余り賢くありませんがf(^_^;素直に感じた気持ちです☆

    • あきみ父
    • 2015年 6月 13日

    コメント、ありがとうござます^o^
    先の結果はわからないのですが、
    「今しかできないことは今やる」
    ことが大事なような気がします。
    「子供のときしかできないことは子供のときにやる」
    といったところでしょうか。
    暁巳は、物事に失敗したときなど、
    『なっちゃったの!』
    と良く言ってました。
    “なっちゃったじゃなくて、自分が悪いんでしょ”
    と思っていました。大体の人はそう思うのではないでしょうか。
    今振り返ると、
    一生懸命にやったんだけど、こんな結果に
    『なっちゃった』
    しょうがないよね。
    なんて想いだったのでしょう。
    それと、
    人に何かしてほしいときには、
    『今すぐ!』
    といつも困らされてました^^;
    8年8ヶ月の短い人生、
    本人は、勿論自覚はなかったはずですが、
    潜在的に何かを感じていたのかもしれません。
    『なっちゃったの!』『今すぐ!』という言葉は、
    「先のことは気にせず、今できることを今やる」
    ということを、暁巳流に置き換えた言葉なのかと思います。

    • あきみ父
    • 2015年 6月 13日

    あきみ父です。
    まだ幾つか、暁巳に学ぶ言葉があるのですが、
    『なっちゃったの!』『今すぐ!』
    も含め、
    あらためて、書きたいと思っています。

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